2024/09/13 13:54


文化(culture)のは、「耕す」を意味するラテン語の「colere」に由来すると言われている。文化の始まりは農耕にありと言える話だが、多分文化の始まりは水の道を作ることだったのではないかと仮説する。なぜなら畑作りとか水の流れる道作りから始まるからだ。というか、水の流れを作ることこそが畑を作ることと言っていいだろう。自然の水脈を知り、意図的にその水を引いてくる事ができれば、そこに食べ物ができ、人が暮らし、人が集まり、風習が生まれ、文化となる。これら全てで一つの文化であり、文化形成にこれらの要素は外せないものなのである。文化の破壊とは、これらを切り分ける事で、敗戦後の日本は切り分ける歩みをしていたと言えよう。自然栽培や有機栽培を一部の意識高い系の「流行り」、もしくは、変わり者の戯言と感じている人も少なくないと思うが、私が考える自然栽培の真の目的は、文化の再構築であって、水路の立て直しは決して外すことの出来ない仕事だ。戦後の区画化された田畑の圃場整備は水路を無視したものであった。この先は、変わってしまった水路を明確にして整えることが必要であり、これを行なった先でのみ自然栽培は成立する。

思い起こせば、1960年代、全国各地で大規模なパイロット事業が行われた。山を崩し、単一作物で山全てを覆うほどの産地化事業だ。今、その時作られた産地は過疎化が進み耕作放棄が進行している。未来を生きる私たちは、何かしらの手段を用いて、再び、共に生きる自然を取り戻さなければならない。その為には、次世代に繋ぐエリアを定めることだ。未来に繋ぐべく場所とは、未来に繋ぐことを強く願い、有効手段を貪欲なまでに考えて、それを実行できる人が多くいる場所、それが未来に繋ぐべき場所であり、人類が残るすべき文化なのだと思う。